2019.7.24 wed.

バニラ派かチョコレート派か、そもそも甘いものを好んで食べるか否か、という話で揉めて(じゃれ合って)いる課長と副課長を背に仕事をする。副課長は甘いものをあまり好んでは食べない様子。頂いたりその場にあれば口にする程度で、わざわざ自分で買って食べるようなことはしないらしい。バニラ味かチョコ味ならバニラを選ぶそう。片や課長は甘いものを好む様子(会話が聞き取れなかった)で、バニラ味かチョコ味なら断然チョコなんだそう。「チョコレートを食べない人なんているの!?チョコを好んで食べない人がいるなんて信じられない」としきりに驚いていた。自分はごりごりのめちゃめちゃにチョコレートが好きなのでその思考はわからなくもないけど、よくそれで半世紀も生きてこられたな、と笑いを噛み殺す。

 

就業後『神と共に 第二章:因と縁』を観る。白い山猫時のヘウォンメク(チュ・ジフン)がかっこよすぎてときめきがとまらない。ソークールジフニ最強では!? 昔韓国ドラマを観ていたときは何とも思わなかったのに、大人になったチュ・ジフンが良い男すぎて心を揺さぶられている。ヘウォンメクの髪型もときめきに一役、いや二十役くらい買っている。前髪おろしてるよりもあげてるほうが1000000倍かっこいい、似合う。

わたしはチュ・ジフン演じるヘウォンメクにどことなくハイキュー!! の黒尾鉄朗みを感じている。わたしの中の黒尾鉄朗を三次元で実写化するとヘウォンメクになる気がする。ちょっとかっこよすぎるけれども…(わたしの中の黒尾のイメージは THE!雰囲気イケメン なので)    タイプではないはずなのにときめいてしまうのもきっとそれが所以だろう。黒尾鉄朗はまったくタイプではないはずなのに何故かわたしは彼の二次創作をよく読んでしまう。なんなんだ。本当になんなんだ。

 

帰り道、運良く還幸祭が見られた。

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2019.7.23 tue.

『メモリーズオブサマー』を観る。タイトルとフライヤーからは想像がつかない生々しい息苦しさが漂う話だった。無音のエンドロールが恐ろしい。

 

仕事で東京へ行った父からパスカルルガックのチョコレートを受け取る。今年のバレンタイン時、自分用に買っておいたパスカルルガックのボンボンショコラを父に勝手に食べられて大号泣したわたしへの詫びだ。トリュフとボンボンショコラを総額一万円弱(!)買ってきてくれた。フォンダンショコラが食べたかったなんて今更言えない。

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2019.7.22 mon.

昨日の参議院選挙の結果を今日も引きずる。覚悟はしてた、けど、トップ当選の絶望感は相当だ。

 

今こそ『新聞記者』を観るべきなんじゃないか。政界の闇を煮詰めたような(※イメージ)シリアスな映画が観たくなる日なんて今日を逃すときっと一生来ない。帰りに観よう。観て帰ろう。

と考えたけれど、今週で終わる絶対に観ておきたい映画が二本あった為 体力温存に務めることにした。こういうとき老いを実感する。

少しだけ本を読んで眠る。

2019.7.21 sun.

腹痛で目が覚める。シャワーを浴び、のんびり朝食を食べ、新しい自転車の引き取り連絡をした後、学生の頃アルバイトでお世話になった店長のお店に挨拶へ伺う。

現自宅(仮住まい)からお店まで目と鼻の先であるにも関わらず、仮住まいに越してから今日まで3ヶ月、全く顔を出していなかった。そして本当の自宅に戻る間際になって慌てて出向く始末。動くのが遅い。いつもそう。ギリギリでいつも生きていたいから。AH。

結果から言うと、店長には会えなかった。奥様曰く「まだ起きてきていない」とのこと。(店長はこのお店の上に住んでいる) 店長、もう昼過ぎてんぞ。

残念だけど、起こしてください とも言えないので、私が来たことだけ伝えてもらうことにして、アイスクリームを買って帰る。

 

母と選挙へ。仮住まいなので投票場所が遠い。不便だ。こういうときインターネットから投票できない日本の選挙システムが憎い。

 

そのままショッピングモールへ向かいカーテンを見繕う。家具を見たり、かわいいサンダルを探したり、スリッパを新調しているうちに、予定時刻を大幅に超える。

引っ越しはもう来週に迫っている。荷造りYABAI! と焦って帰宅するも、そのまま昼寝。睡魔には勝てない。

 

夕方から、荷造り〜台所まわり編〜 を開始する。昨日わたしが一人で遊んでいる間に両親がほとんど詰めてくれていたようで、すぐに終了した。

自分のものは詰めるものがほとんどなくて、化粧品や洋服を前日しゅぱぱと詰めるだけなのだけど、あまりに何もしてなさすぎて不安になってきた…

 

2019.7.20 sat.

朝一の上映に合わせ、早起きする。

でもやっぱりまだ眠りたい、体がつらい、そもそも休みの日なのに何故勤務日より早く起きる必要があるのか、でも上映は8:20〜の一回のみだし今週で終わる、でもでもこの劇場での上映が終わってからもしかしたらミニシアターで上映があるかもしれない、でもでもでもその保証はない、でもでもでもでも再上映がなくても三ヶ月待てばおそらくDVDレンタルか配信サービスで観られる、でもでもでもでもでもこの映画は結構ちゃんと楽しみにしていた、いや本当にそうだろうか、そこまで観たかった映画だろうか、わざわざ休日の朝早くから眠い体に鞭打って支度して交通費を使って電車に乗って映画館で1,200円払ってまで観たい作品だろうか、この映画を観たい気持ちとこの映画を鑑賞するにあたって掛かるコストとエネルギーを秤にかけたときどっちが勝つだろうか、どっちだ、どうする、どうする、わたし、

というおよそ5分間の攻防戦の末、決行に至る。決め手は、行ったらきっと 観に来てよかった と思うはず!というわりと強引な理屈。もはや心の天秤関係ない。

自分の好きなものに対して損得で考えすぎるの悲しくなーい?とにかく享受!面白かったらラッキー!駄目で後悔も一興っっ!✌︎ ってわたしの中のギャルも言ってるし。

 

攻防戦をくり広げ謎の仮装人格をひっぱり出してまで観た映画『Girl』は、とても良かった。主演のビクトール・ポルスターが素晴らしかった。中性的な人の美しさってどうしてこんなにドキドキするんだろう。

 

近くの喫茶店でブランチ。いつも並んでいるのに時間が早いからか待ち客は一人だった。ウェイティングの真後ろで珈琲豆が煎られるので、香りとあたたかさがダイレクトに届く。この喫茶店のコーヒーは酸味が強いのだけど、煎るときの香りから既に酸味があって驚いた。

順番を待つあいだ前回来たときのことを思い出す。入り口から二番目の席に座ったこと。エッグトーストを食べたこと。二人の友人と一緒だったこと。そのうちの一人は酔っ払っていたこと。その酔っ払いとはもう二度と会えないこと。

そんなことを考えていたら、前回と同じ席に通された。

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今日もおいしかった。

 

次の上映まで二時間半、ウィンドウショッピングで時間をつぶす。   今ほしいもの。夏っぽいワンピース、ぺたんこのサンダル、黒いスニーカー、ベージュの細ベルト。  どれも見つからず、プチプラでトップスを一着購入。めずらしくパーソナルカラー範囲外の色。顔映りや肌映りを重視していつもはパーソナルカラーに忠実に服を選ぶのだけど、どうしてもこの色が着たいと思ってしまった。仕方ない。プチプラ服はアバンギャルドにいこうぜ!✌︎ってわたしの中のギャルも言ってるし。

 

『洗骨』を観る。ガレッジセール ゴリさんが本名 照屋年之の名で監督・脚本を務めた映画。シリアスベースな話の中に随所に笑いが散りばめられていて、そのバランスに脱帽。なんでこんなことができるんだろう? 面白かった〜。

 

しぬほど悩んでパンを購入し帰宅したあとのことは何も覚えていない。

2019.7.19 fri.

当事者でない人間が怒りや悲しみを必要以上に引きずるべきではない、というインターネットの助言に従い、でき得る限り自分の心を健やかに保つことに努める。

 

就業後 映画を観に行くつもりが、会社から直行するか一度自宅に帰るか悩むうちに疲れてしまい、結局映画は諦める。

映画館へ行かないのなら家で何か観たいな〜と動画配信サービスを漁るも、疲れのせいかどれも観る気力が湧かず、『おこしやす、ちとせちゃん』という京都に住むペンギンのアニメを眺めていた。

2019.7.18 thu.

酷い一日だった。

 

 

こんなことがあるかよ。

こんなことがあってたまるかよ。

 

 

 

火災なんてもんじゃない。無差別殺人だ。

 

 

 

怒りと悲しみでどうにかなりそう、だけど、怒りと悲しみでどうにかなりそう、と言葉にしたところで、ぜんぜん温度を伴わない。何を言葉にしても、言葉が重みを伴わない。悲しいけれど、悲しいという言葉では言い尽くすことができない。

 

 

 

 

 

 

 

クラウドファンディングとか、グッズを買って映画を観て売上に貢献、とか、圧倒的に正しい。

わたしたちは何もできない。ほんとうに何も。その中で、すこし、ほんの僅かでも、なにか力になれたら、と願うこと、行動すること、哀しみの渦中にいる人たちに代わって前を向くこと、すべてが、きっと正しい。 

 

お金があれば復旧はするだろう。損失した資料も、作品も、もしかしたらいつかまた見られるかもしれない。 でも、死んだ人は還らない。

何をしたって、失われた命は戻らない。

 

 

わたしたちにできることは、何もない。

 

 

力になろうって真っ先にまっすぐに前を向ける人、ほんとうに偉いと思う。正しいと思う。わたしにはできない。こんなふうに前を向けない。何をしても死んだ人が蘇るわけじゃない、なら、何をしたって無意味だ。何をしたってなんにもならない。そんなふうに考えてしまう。

 

 

泣いてしまう自分も、ご冥福をお祈りしているインターネットも、何かできることをと動く人たちも、すべてがきもち悪くてしんどい。 誰かのきもちも自分のきもちもきっとちゃんと本当なのに、“それは誰のため?” と思わずにいられない。

みんな悲しい。みんな憤ろしい。みんな辛くてたまらない。わかってる。わかってるつもりなのに、人の善意までもが、今はどうしようもなくしんどい。 だけどおそらく、その善意の先に未来はあって、誰かを救いたい、少しでも癒やしたいと祈ることを、薄気味悪いエゴだと切り捨ててしまうことは、それこそ何にもならない。

わかってるけど、わたしはまだうまく切り替えられない。

 

 

 

 

顔も名前も性別すら知らない母の友達のこども。どうかご無事で。

 

 

たまこラブストーリー』を観たら、すこし癒やされた。