2019.7.18 thu.

酷い一日だった。

 

 

こんなことがあるかよ。

こんなことがあってたまるかよ。

 

 

 

火災なんてもんじゃない。無差別殺人だ。

 

 

 

怒りと悲しみでどうにかなりそう、だけど、怒りと悲しみでどうにかなりそう、と言葉にしたところで、ぜんぜん温度を伴わない。何を言葉にしても、言葉が重みを伴わない。悲しいけれど、悲しいという言葉では言い尽くすことができない。

 

 

 

 

 

 

 

クラウドファンディングとか、グッズを買って映画を観て売上に貢献、とか、圧倒的に正しい。

わたしたちは何もできない。ほんとうに何も。その中で、すこし、ほんの僅かでも、なにか力になれたら、と願うこと、行動すること、哀しみの渦中にいる人たちに代わって前を向くこと、すべてが、きっと正しい。 

 

お金があれば復旧はするだろう。損失した資料も、作品も、もしかしたらいつかまた見られるかもしれない。 でも、死んだ人は還らない。

何をしたって、失われた命は戻らない。

 

 

わたしたちにできることは、何もない。

 

 

力になろうって真っ先にまっすぐに前を向ける人、ほんとうに偉いと思う。正しいと思う。わたしにはできない。こんなふうに前を向けない。何をしても死んだ人が蘇るわけじゃない、なら、何をしたって無意味だ。何をしたってなんにもならない。そんなふうに考えてしまう。

 

 

泣いてしまう自分も、ご冥福をお祈りしているインターネットも、何かできることをと動く人たちも、すべてがきもち悪くてしんどい。 誰かのきもちも自分のきもちもきっとちゃんと本当なのに、“それは誰のため?” と思わずにいられない。

みんな悲しい。みんな憤ろしい。みんな辛くてたまらない。わかってる。わかってるつもりなのに、人の善意までもが、今はどうしようもなくしんどい。 だけどおそらく、その善意の先に未来はあって、誰かを救いたい、少しでも癒やしたいと祈ることを、薄気味悪いエゴだと切り捨ててしまうことは、それこそ何にもならない。

わかってるけど、わたしはまだうまく切り替えられない。

 

 

 

 

顔も名前も性別すら知らない母の友達のこども。どうかご無事で。

 

 

たまこラブストーリー』を観たら、すこし癒やされた。